2009年11月24日火曜日

木とのつきあい方

先日のNHKの番組でシベリア森林火災を食い止める空飛ぶ消防士の活躍が特集されていました。夏の乾期に森に落ちる雷が原因で自然に森林火災が頻発するようで、それを食い止めるため必要最小限の道具でパラシュート降下し火災に立ち向かっておられる方達です。

その働きは地球温暖化に拍車がかかる中でより重要になっているとのこと。温暖化で火災が起きやすくなり、その火災で二酸化炭素が排出されるため悪循環です。それを守る消防士。その番組の中でとても印象的だった部分がありました。

消防隊のニコライ隊長が応援がないとどうにもならないとき、応援の消防隊が安全に降下できる場所が森の中にありません。そのため森を切り開きヘリポートを作ります。しかし彼にはそれが苦渋の決断なのです。なぜならシベリアの森の木は生長がとても遅いため一抱えほどの太さになるのに何十年もかかるのです。

隊長が守ろうとしている森も、ヘリポートの為に伐採する木も樹齢200年以上。その木を切るとき彼は「自分に切られるために今まで生きてきたわけではないだろうに・・・。こんな若造に切られて悔しいだろう」とつぶやきながら、でも仕方なくその作業を進めていました。その他多くの木を、森を守るために。

木との向き合い方、それをこのシベリアの消防隊長の言葉から考えさせられました。

わたしも若造です。植木は庭の剪定やメンテナンスの時切ることがあります。それはまだ健全な成長に役立つ面が多いのでいいのですが、問題は伐採の時です。果たして自分はその木が何十年生きてきた日数の事を考えて向き合っているのだろうか、今自分の手でその木が生きてきた何十年かに終止符を打つわけで、その意味を受け止め分かっているのか?ということです。

一番身近な自然として庭の仕事をやっているのはとても素敵な事だといつも思っています。素敵なことだからこそ必要な責任があります。同じ伐採をするにしてもそこに向き合う自分の心構えを大切にしなければならないと思いました。

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